ブルックナー:交響曲第5番
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ヴァント/BPO初のブルックナー。 |
〜この演奏から分かることは、ベルリンフィルが驚くほど緊張していることである。いや、むしろ恐ろしいほど集中しているというべきだろうか。明らかにカラヤンやアバドの下でのベルリンフィルではない。もはや別のオーケストラになったといってもいい。この緊張感が、演奏にストレートに反映している。
ヴァントは、かつてこう言ったことがある。「ブルック〜〜ナーの『第5』と『第9』は、世評、世間というものに完全に背を向けている。これほどの例は彼にしてもめずらしい」と。
ブルックナーの生きていた当時、交響曲のみならず、音楽の創作というものは、常に聴衆と「一体」であった。彼には聴衆を無視する「権利」は存在しなかった。だからこそ、実際には宗教音楽とは無縁のはずの交響曲という様式で書いた作〜〜品でさえ、「ブルックナーらしくない」として改訂を余儀なくされたのである。「自身の作品に懐疑的になり」云々という記述をよく見かけるが、そうではない。いわば彼は「周囲から抑圧された交響曲作家」なのである。そして、そのような「抑圧」からまるで逃れるように書いたのが、(「独白的」と言ってもよい)この『第5』であった(シャルク版は改訂版とい〜〜うよりも完全な改悪版だ)。
私には、このディスクから感じられる緊張感と、『第5』の独白的な作品の性格とが、最終的に見事に調和しているように思われる。
ヨッフムのブルックナーをはじめとする、あまりにも宗教的なものを求める人には全く向かない。ああいう演奏は交響曲作家としてのブルックナーの意図を全く無視している。私も個人的に17、8〜〜年くらい、この『第5』のスコアを研究してきた末の結論だ。
それから、いわゆる「怒濤のクライマックス」を期待する人にもおすすめできない。ヴァントが目指したものは、あくまでも違和感のない、流れるような音楽である。「それは、ただ流れていた。これが音楽だ!」。ヴァントが好んで口にした、トスカニーニにまつわるエピソードからも、このことは明〜〜白である。
ブルックナー自身はこの『第5』を評して、「対位法による書法の傑作」と言っていた。宗教的なムードとは無縁の、まさに交響曲作家としての姿が伺える言葉である。この言葉をはっきりと理解できるのは、今のところ、私にとってはヴァントの演奏からだけである。〜
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確かにすごいけど… |
確かにすごい。アンサンブルも乱れず、響きも厚く、迫力もある。評判もよい。でも、私には分からない。というのは、聞き終わった後に心を揺さぶられるということがないからです。私の耳が悪いのかな?ヴァントとの相性が悪い?ヴァントは好きなタイプであるはずなのに、どれも今ひとつです。評判がよいだけに、違う感じ方もあるということを…。ブルックナーの5番なら、私はスクロヴァチェフスキ、朝比奈を支持します。
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重量感溢れる5番の名演です |
96年にベルリンで録音されたライブアルバムです。ブルックナーの5番といえば、ブルックナーの交響曲の中でも最も重厚感にあふれた大作です。
ブルックナー解釈で定評のあったヴァントは、ここでもスコアに忠実に、ベルリンフィルの能力を最大限に引き出し、重量感に富んだ演奏を聴かせてくれます。とりわけ、燃え上がるような第一、四楽章が聴き応えがあるのですが、中でもヴァントのブルックナー解釈が威力を発揮するのは、複雑に書かれたフィナーレ部分で、各楽器がからみあいながら、爆発的なクライマックスを迎えます。
ブルックナーの5番の名演といってよいアルバムであり、ブルックナーファンにはお奨めの1枚です。
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別次元の第五 |
ヴァントとベルリン・フィルによるブルックナー・シリーズの最初のものであり、結果的には代表作になったのではないか。
演奏内容はとにかく圧倒的である。ベルリン・フィルの演奏力とヴァントの資質がうまく結合した結果、密度の高い緊張感のある第五が生まれたのだ。重厚だが鈍重にならずスムーズだし、華麗さと深みを合わせ持っている。他の第五の演奏とは別次元の趣がある。
録音もこのシリーズでは第八に次いで優秀なので、お薦めしたい。


