ツィゴイネルワイゼン〜ヴィルトゥオーゾ・ヴァイオリン
「人間の限界を極めた精巧無比なテクニック」と賞賛されていた、20世紀最大のヴァイオリニスト、ヤッシャ・ハイフェッツ(1901−1987)。ヴァイオリンを愛する人なら、一度はぜひとも聴いておきたい偉大な存在である。 ある人は、ハイフェッツのヴァイオリンは冷たくて心がないと言うだろう。しかし、ある人は、ハイフェッツに比べたら、他のすべてのヴァイオリニストの技は甘いと言うに違いない。それくらい、ハイフェッツの鋭い音はすさまじい印象を人に与える。特にサラサーテ「ツィゴイネルワイゼン」は、ハイフェッツの代名詞的な名演。一度耳にしたら、そのカミソリのような技の切れ味、鋼のように強くしなやかな旋律線には、大ショックを受けること必定である。 サン=サーンス「序奏とロンド・カプリチオーソ」やショーソン「詩曲」、あるいはワックスマン「カルメン・ファンタジー」といったマスターピースも、ハイフェッツのすさまじい神技のあまり、頭がクラクラしてくる奇跡的な音楽と感じられる。ハイフェッツには、笑顔や人なつっこさ、暖かさといった要素は確かに欠けているかもしれない。しかし、妥協のない冷徹な厳しさ、つかみかかるような戦闘的気迫、緊張の糸の張り詰めたような強靭な歌いまわし――といった独特のクールな芸風においては、比類ない孤高の境地に達していた。 そして何よりもハイフェッツには、凡俗を決して寄せ付けない王者の風格がある。このディスクは選曲のバランスも最良。ハイフェッツを初めて体験するなら、まずは本盤から聴くことを強くおすすめしたい。(林田直樹)
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ハイフェッツの美意識 |
このアルバム、「ツィゴイネルワイゼン」以外の曲を聴いたことがありません ^_^
ハイフェッツの魅力はよく誤解されているようだが「超絶技巧」でも「音色」でもない。本演奏をテクニックのみの素晴らしさと考えるなら、はっきり言ってそれは音楽というものに対する鑑賞力が甘い、と言わざるを得ない。
どのジャンルにおいても「音楽」を成立させるために、あるレベルの「演奏力」は必ず要求される。そして、クラシックにおいてはそれはほかのジャンルよりも比較的高レベルに設定されているのだが、必ずしも技術力と音楽性がパラレルでないことは、例えば同じヴァイオリニストのシゲティを見ればわかるだろう。逆に、高いテクニックが音楽性と必ずしも結びついていない例としてすぐに思い浮かぶのがポリーニとヨー・ヨー・マであろう(この二人の音楽がダメというわけではないが)。
ハイフェッツの魅力は、アウアー以来のロシア・ユダヤ系のヴァイオリンの正統の演奏技法を受け継ぎながら、感情移入を排した簡潔な音楽作りをするところにある。端的に、彼はこのマスターピースを弾くとき、大抵の演奏家がやるように、ヴィルトゥオーソとしてのテクニック誇示に堕してしまっていないところが、ハイフェッツの本当の凄みだとわたくしは常々思っている。
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ハイフェッツ |
彼のツィゴイネルワイゼンを聞いてしまったら、もう他の演奏は聞くに値しなくなってしまう。はっきりいって、人間技とは思えない。
これ以上何も言うことはありません。
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この演奏を超えるのは不可能 |
この演奏を超える「チゴィネルワイゼン」は、もう出てこないだろう。
このハイフェッツのを聴くと他のは、もう聴けません。
この曲で他の奏者と、ハイフェッツを比較するなど、とてもできないほどの名演奏です。この曲はハイフェッツ以外では、もう聴けません。
この一枚持っていれば、この曲に関しては他には要らないというほどの永久名盤です。
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感動して涙が出ました |
まだまだCDが、3000円以上した約10年前から、ずっと聴き続けています。(表紙絵は変わっていますが、内容は同じようです。)CD店で薦められて、2枚買ったうちの1枚。もう1枚は全然気に入らなかったのですが、この1枚に出会わせていただいて、今でもその店員さんに感謝しています。ツィゴイネルワイゼンは何度聞いても泣けます。
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限界を超えた名演 |
まったく度肝をぬかれる演奏とはこのことだろう。
特にツィゴイネルワイゼンはこの20世紀最高のヴィルトゥオーゾが残した最も状態のいい最高の遺産だと思う。
おそらくこの曲はハイフェッツの呪縛から逃れることはないだろう。なぜならこの演奏は人間のヴァイオリン演奏の限界を超えてしまっているからだ。
フルヴェンの第9や、カラスの椿姫がそうであるようにまたこの演奏も不滅だろう。

