ショパン:12の練習曲
20世紀のあらゆるショパンの名録音のなかで、その頂点にさん然と輝きわたる不滅の名盤中の名盤。戦後ピアノ界史上最大の天才ポリーニが、満場一致でショパン・コンクールに完全優勝しながらも10年もの研鑽(けんさん)による沈黙を経て、ようやく満を持して世に問うた、この完璧なるエチュードの演奏記録は、今もって凄まじい衝撃で聴くものを打ちのめす。
まず冒頭のハ長調のエチュードからして、ヘラクレスのような強靭な筋肉美に目がくらむ。冷徹な外観の奥に燃えさかる炎のような情熱、ほのかな詩情、そして鋼の意志が全曲を貫き、一分の隙も与えない。これを聴き始めたが最後、「別れの曲」「黒鍵」「革命」「木枯らし」を経て最後の「大洋」まで24曲すべて聴き終えるころには、誰もがショックとろうばい、そして感動に飲み込まれてしまうだろう。これほどの完璧さは、もしかすると…狂気寸前のもの?
今にして思えば、1972年のこの録音は、従来の甘くロマンティックでサロン的なショパン観を完全に覆し、クールでたくましい意志の音楽としてのショパンという視点を導入したという意味でも、ピアノ演奏史を塗り替えた画期的演奏だったのではないか。ともかく、万人必聴であることはまちがいない。(林田直樹)
![]() |
ピアニスト |
ピアニストとは何か?
楽譜どおり一音一音丹念に弾きこなす職人的な存在なのか?
楽譜はあくまで下敷きに自分の感性を演奏に反映させる芸術家なのか?
私はどとらもピアニストであると思う。どちらを選ぶかは演奏者の自由だ。
私の考えでいくとポリーニは職人である。職人らしい職人である。仕事(演奏)は完璧だ。完璧すぎるがゆえに彼の演奏は冷たいとか、乾いている、面白くないなどの批評を受ける事も間々ある。完璧だと称えられながら、面白くないとも言われる。何とも皮肉な話である。
だが,私はポリーニについて少し違った見方をしている。私は、彼は非常に謙虚な演奏者だと思っている。彼は、自分という存在を滅し、無の境地でただひたすら音に向き合ってるのだと感じるのだ。これは、仏の道を極めんとする修行僧の境地に近いかもしれない。だからこそ、時として彼の演奏は無味乾燥などと批評されるのだと思う。
私はポリーニの演奏が好きである。
彼の演奏に喜怒哀楽を求めてはいけない。
無の境地で聞くのだ。そうすると、すーっと一音一音が耳の中に入ってくる。
その音一つ一つを楽しむのだ。
![]() |
衝撃の第一曲目 |
このCDは、最初の一曲目から、感動のあまり何もいえない。
ポリーニほどショパンを完璧に弾きこなすものがいるだろうか。おそらく、病気がちな作曲者よりも弾きこなしているのではないかと思うほどである。ダイナミックでロマンティックなポリーニの演奏は、この曲集が練習曲集であることを忘れさせる。
そして、ピアノを弾くものにとって、ポリーニのテクニックの完璧さにはあこがれてしまう。
![]() |
唖然。。。 |
あいた口がふさがりません。人間業とは思えないです。。。
まるで、本人が自分のすべての感情を、鍵盤にたたきつけているよう。。若さゆえのポリーニのストイックさゆえなのでしょうか、テクニックのすごさを超えた、感情の嵐のようです。
激しい悲しみや、苦しみを抱えたとき、身のふりかまわず何かに没頭することで、(半分自暴自棄になりながらも)それを振り切ろうと必死だった昔の自分の姿などを思い返してしまいました。
とにかく、感情を何とかふりっきて前向きに立ち向かっていくかのようなポリーニの勇ましい(+若い)姿にはただただ、脱帽です。
![]() |
「世界遺産」的な神々しい演奏。 |
なんと言っても最初の一曲が凄い。
実際、ブーニンのエチュードと一曲一曲交互に聴き比べると、
案外ブーニンの方が表現が素晴らしいと思える曲も多いのだ。
しかし、最初の一曲が「妙なる高み」にある本アルバムでは、
リスナーは最初からテイクダウンを余儀なくされ、
あとはなすすべがない。
この最初の一曲には、ショパンコンクールに優勝してなお、
死亡説もささやかれるほど、10年近く研鑚に励んだ、
痛々しいまでの、そして神々しい程の「ハート」を感じることが出来る。
この演奏は、「世界遺産」です。
![]() |
真のヴィルトオーゾ |
何たる鮮明な主題。どこまで独創的なのだろう。目の覚めるような華やかさを持った1曲目と、2曲目の奇妙な楽奏を聴いた瞬間、リストではないかと我が耳を疑った。3曲目を聴けば出る言葉はただひとつ「天才」。戦場での自国愛を描き上げたような4曲目では、ピアノ線どころか鍵盤まで砕いてしまう程の力が伝わってくる。10曲目では私達を何とも奇妙な世界の舞踏へと導いてくれる。20曲目を聴けば「練習曲」というタイトルが決して「指」だけではなく「作曲」も含めたものだということが伺える。21曲目を聴けばJAZZを最初に創ったのはショパンではないかと思ってしまう。22と24曲目ではオーロラのマントを被ったオペラ座の怪人の舞台のような情景が私には浮かんだ。練習曲ではショパンの描く闇の世界も十分に楽しめる。ショパンという人は尽きることない泉のように多くの楽奏を描いた。12の練習曲は虹のように様々な異なる楽奏が描かれている。天上の音楽。二つと同じ風景が存在しない、神々が描く空の雲のようだ。天才が描く主題とは一体どこから湧出てくるのだろう。一つ断言できることは、過去の記憶からではないということだ。

