ワーグナー : 楽劇「トリスタンとイゾルデ」全曲
最初の一音から最後の一音まで、この演奏にはものすごい電流が流れている。前奏曲の弦の激しい軋みに「!」と気がついたが最後、感電したかのように、この演奏の魔力の呪縛から逃れることはできない。ぐいぐいと息もつかせぬ迫力で、ワーグナーの音楽に直接に切り込んでいくこの演奏には、天才的霊感が宿っている。死とエロスの真髄に迫るこの偉大なワーグナーの傑作の周りに立ち込める霧を、カルロス・クライバーは天下の名刀を用い、見事な剣さばきで払いのけていくかのようだ。
コロのトリスタンやプライスのイゾルデをはじめとした歌手たちも、透徹したカルロスの世界に同化し、青白い炎のように純度高くすべてが完全燃焼している。めくるめく官能に溺れ、危険で妖しい香りを漂わせ、ワーグナーの"毒"が最強度に発揮された、これほどの「トリスタン」…。聴き手をワーグナー中毒患者に至らしめる、文字通りの劇薬といえるだろう。
カルロスの"奇跡"伝説の頂点にある名演として、永遠に輝き続けるディスクである。(林田直樹)
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クライバーもドレスデン選んだ |
カルロス・クライバーという名前を見て迷わず買ってしまいましたよ、このCD。もう何年も前。クライバーもワーグナー振るんだというのもちょっと感動。ホントはイタオペよりワーグナー振って欲しいんだなぁ、クライバーには。
このレコーディングはオケにも注目。ドレスデン・シュタツカペレですよ、あの。カラヤンもマイスタジンガーをレコーディングする時は手兵のベルリン・フィルでなく、ドレスデンを選んだ。クライバー、お前もか、です。
演奏はかなりよいです。20世紀の音楽は、元をたどればトリスタンからと言われていますね。調性の拡大はこの作品で決定的になった。後は無調に突き進むしかなかった。言うまでもなくこの先にシェーンベルクがいます。何のために調性をあいまいにしたかは明白で官能の表現だから。4時間近くも調性の解決をはぐらかし、官能をそそり、最後の最後にイゾルデの死で調性が解決される。すごいこと考えたものです。オペラだからこういうこともできるわけで、ワーグナーが総合芸術作品(楽劇)と言ったの、よくわかります。
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この曲の最高の録音の一つ。 |
音楽史上に多大な影響を与え、文学者たちにも幾多々のインスピレーションを与えた『トリスタンとイゾルデ』は、私見では、ワーグナー作品の最高傑作だ。そのCDを選ぶ際には、この曲に何を求めかでお勧めのCDが異なってくる。この楽劇の中心にある「愛と死」をめぐる思想的な深さを十分なまでに表現している点では、フルトヴェングラーの右に出るものはないだろう。しかし、カルロス・クライバーのこの演奏は、なんといっても録音が良いし、そのため、オーケストレーションの細部を良く聴き取ることができる。また、またこの楽劇の甘美な音色や、めくるめくような変幻自在でスリリングな展開を楽しむには、この盤をお勧めする。この演奏の白眉は、第二幕である。前半の夢幻的な高揚感、後半の『愛の二重唱』のデリカシーは一聴に値する。反面、内容が深遠な第三幕はフルトヴェングラー盤にはひけをとるだろう。
とはいえ、初心方がこの曲を聴ききになるのにどちらを選ぶかということになると、やはりこのカルロス盤をお勧めすることになるだろう。歌手についていえば、イゾルデ役のマーガレット・プライスにはあまり問題は見当たらない。強いて言えば、声はリリカルで透明感があるが、子音を誇張して発音しているきらいがある。ブランげーネ役のブリギッテ・ファスベンダーについては何の問題もない。トリスタン役のルネ、コロには知性が感じられず、従って第三幕は明らかに役不足である。クルヴェナール役のフィッシャー・ディースカウは、フルトヴェングラー盤の時と比べると見劣りがする。フルトヴェングラー盤での彼はまだ若々しく、声に艶と伸びがあったし、またフルトヴェングラーの息の長いフレージングの方が、彼の表現と相性がよかったのだろう。この盤では妙にせかせかして聞えてしまうのが難点だ。
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バイロイトがベスト |
クライバーのDG盤は魅力的(十分すぎるほど素晴らしい)ですが、それ以上に素晴らしいのはバイロイトでの演奏だと思います。バイロイトの音響とも相まって、「哀しさ」のようなものが出ている。まさに目の前でドラマが繰り広げられているように感じます。歌手、演奏者などの存在は忘れ、ただひたすら(トリスタンがそうであるのと同じように)愛の世界へ浸っていく…。私にとっては、あらゆる演奏の中のベスト1です。
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主客が見事に入れ替わった(笑)「クライバーの魔術」 |
「トリスタン…」こそは、神がワーグナーの手を通じてこの世に落とした至宝のひとつ。クライバーがこれに挑んだ、ということで発売当時カナリ話題になった録音だ。「燻し銀のドレスデン・サウンド」などと例によってまことしやかに言われたものだが、正直私には判らなかった。しかしその私にも、これがクライバーの音だと言うことは判る。音、というより音楽、というべきか。しかしあまりにもクライバーの音楽でありすぎた。主格が完全に転倒し、ワーグナーが脇役になってしまったのは苦笑ものだが、それもありなのであろうと思わせるところがクライバーらしい。
歌手であるが、ダントツで素晴らしいのはプライスのイゾルデだ。可憐さと強さという、ともすると矛盾しかねないが、同時に強く要求されるこれら2つの要素を完璧に両立・共存させた表現で、この境地には古今の名歌手といえども、未だ誰も到達していない。知的、とも言えるが、それはそれほど問題ではない。そもそもイゾルデはそこまで知性を要求する役だろうか?
プライスと較べると、コロのトリスタンは、いかにも弱い。トリスタンはイゾルデと較べてはるかに知的要素を要求する役だと私は解釈するが、コロにはそれがかけらもない。軽薄で甘ったるい発声で、ドイツ人のくせに歌詞の意味が解ってないのでは?と疑わせる。しかし、この時期世界的にまともなヘルデン・テノールがいなかったということは事実でもある。カラヤン盤のヴィッカーズとはまた別な意味で、酷いトリスタンだ。
F=Dのクルヴェナルも、フルトヴェングラー盤を聴いた耳で聴くと寂しい限り。フルトヴェングラー盤では、あらゆる意味で非の打ち所のない完璧なクルヴェナルであり、いまだにこれを凌ぐものは現れない(し、今後もそうであろう)が、やんぬるかな、ここでのF=Dはその片鱗をも見ることができない。しかも、老いに醜く対抗しようと言う意図がありありのこの時期のF=Dは、聴くだけでも哀れを誘う。クライバーの念頭には、フルトヴェングラー盤の20%でもその面影を出してくれれば、という意図があったのだろう。しかしそれは酷であった。クライバーにとっても、F=Dにとっても悲劇となった。
しかし、決定版のないこの曲の録音から選ぶのであれば、最右翼のひとつであることは間違いない。特に、イゾルデにウェイトを置いて選ぶのであれば、この盤が選ばれるのは当然の結果といえる。また余談ながら、ジャケット・デザインは素晴らしく、私はこの初盤がLP5枚組のボックスで出たときの感動を忘れることができないし、それはいまだに私の宝物のひとつである。
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ロマンチシズムの極致 |
これも評価の分かれる録音である。まず録音の面では
全く問題なし。素晴らしいに尽きる。初心者には不向きという
評価を下された御仁がいらっしゃるが、私個人としては
むしろこれは入りやすい入門用としてお勧めする。
情景が目に浮かび、思わず戦慄する。
私はこれでトリスタンに開眼したといってよい。


