マーラー:交響曲「大地の歌」
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他の追随を許さない超名盤 |
ワルターは多くの意味でマーラーと一心同体だった。
この演奏を聴く度にそんな事を思ってしまう。
完璧主義者で気難しく常に孤独だったマーラーが、その後半生を弟子として友人として親交を持ち続けた数少ない相手がワルターだった。
そのワルターはこの「大地の歌」を自らの指揮で初演し、こうして後世に残る超名盤を我々に遺してくれた。
このレコーディングはその完成度の高さ故の功罪として、後に現れるどの演奏をも事前に凌駕してしまうと云う困った現象を巻き起こしてしまっている。
芸術に絶対は有り得ないのだが、この演奏ほど「作曲者の意図に沿った作品本来の姿」が具現化された例は極めて稀ではないか…。(少なくとも私を含め多くの方がそう信じている筈だ)
録音は古くモノラルであるにも関わらず、何度聴いても他の録音を全く寄せ付けない輝きとオーラを放ち続けている。立体感こそ無いが極めて彫りが深い。
ユリウス・パルツァークの達観したニヒルな歌いっぷりも素晴らしいが、特に終楽章のキャスリーン・フェリアーの消え入る様な独唱が白眉だ。
マーラーは死を極端に嫌悪し、その作品の中で死と向き合い否定と肯定を繰り返し続けた。
ここでの二人の独唱は正にこれを見事に具現化している。
オーケストラも嘗てマーラーが指揮者として活躍したウィーンフィルで、ワルターの(そしてマーラーの)要求に見事に応えている。
果たしてマーラー自身が指揮台に立ち録音したら恐らく全く同じ演奏になっていたのではあるまいか?
これは全ての要素が一体化した所謂「役者が揃った」他の追随を許さない超名盤と云えよう。
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今でも最高の「大地の歌」 |
21世紀になった今でも、モノラル時代のこの録音が好き。「この曲を聴いて自殺してしまうひとがでるのではないだろうか?」と心配したと伝えられるマーラーの、その心境が伝わってくるようなコワイ演奏だ。ナイーヴだった過去の私は、運転しながらこの曲を聴くのはやめようと心に誓ったくらい。もちろん、今は運転しながらでも聴く。年齢を重ねるにしたがって、この演奏の怖さよりも美しさを強く感じるようになった。モノラル録音ながら、とても生々しい響きがする。

