ベニスに死す
マーラーの官能的な楽曲に誘われるようにして始まる導入部からして、魔力のような美しさを持った映画である。20世紀を代表する映画監督ルキノ・ビスコンティは「この作品は私の生涯の夢だった」と語っており、終生の愛読書であるトーマス・マンの原作に改編を加え、主人公の設定を文学者からマーラーを模した作曲家として映画化した。 舞台となっているのは現在はベネチア映画祭が開かれるベニス・リド島。静養のため島を訪れた老作曲家(ダーク・ボガード)は、ふと見かけた美しい少年タジオに心うばわれる。監督がヨーロッパ中を探して見つけた15歳の少年ビョルン・アンドルセンは、美を追究する者をとりこにするのもうなずけるほど妖しく美しい。彼の存在なくして映画は成立しなかっただろう。死に至るまで言葉ひとつ交わすことなく少年を追い続ける作曲家。決して交じり合うことなく向けられる視線の痛々しさ。絶対的な美の前に無力となる人間のもろさが見事に描かれている。(井上新八)
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私はパゾリーニ派なのですが、この作品は好きです。 |
美少年ビョルン・アンドレセンの柳腰の彼にうっとり吐息をはきながら、化粧をして死んでゆく惨めな男の死に様を、世界のいったい他の誰がここまで気合を入れてとれるのでしょうか?徹底的に陰部を含む「肉体の真実」を追究したパゾリーニ監督をしても無理でしょう。肉体では説明がつかない作品なのです。最初は、荘厳な城塞や屋敷、貴族の生活や美しい衣装のおかげである意味、作品を難解にしてしまった印象でした。が、何度か観るうちに神経質なまでの、ビスコンティの男の嫉妬と愛憎がきちんと表現されていることにきずくはず、、
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マーラーを聴きたくなる |
ヴェニスに保養にきた作曲家。彼は健全な精神が良い芸術を生むといふ信念を抱いてきたが、友人はだから平凡にとどまつてゐると切つて捨てる。作曲家は美少年に恋をする。からかひ半分の視線に誘惑され苦しめられ、老醜を恥ぢ髪を染め紅を差し、しかも蔓延するコレラに冒されながら、ヴェニスぢゆうを追ひ回す。滑稽で、屈辱的で、堕落でしかない老いらくの恋。しかしこれこそ真の芸術へと通じる道であることを今更ながら思ひ知り、海辺で美少年のシルエットを崇めつつ息絶える...。
ゴンドラの無礼な漕ぎ手、色彩過多で騒々しいロビー、息苦しいシロッコ、下品な俗謡の流し、あらゆるものが神経にさはり、しかも美少年の弾くたどたどしい「エリーゼのために」は売春窟の思ひ出を呼び覚ます。アッシェンバッハの行為を一層惨めに見せる、これらのお膳立てのなかで、彼は窓からそつと手を振り、あるいは少女のやうにうろたへ、あるいは髪を撫でることを夢想する。意地の悪いほど厳粛に語られた喜劇。その頂点で、アッシェンバッハがへたり込み自嘲する場面が見事です。ヴィスコンティの、20世紀映画の最高峰であります。
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字幕一つにも配慮を・・・・ |
既に市販のVHSビデオ、テレビ録画を持っていますが、待ち望んでいたDVD版が発売されたので購入しました。映画自体は紛れもない名作として差し支えないと思います。
映画のストーリーから同性愛映画だとみなされる向きも多いようですが、そうではないと思います。美は芸術家の努力によって作り出されるものと信じてきた老作曲家が自然に生まれ出でた美の化身とも言うべきタジオに抗うことも出来ずに惹かれていく過程が映像でつづられています(アッシェンバッハが惹かれる対象が異性である美少女だったら単なる性愛の対象ということになるでしょうが、同性の美少年ということでタジオの性別も超越した「美」に惹きつけられているということがよりはっきり見て取れると思います)。
ただ、今回のDVD化で、これまでは字幕に出てこなかったタジオやその周りの人々の会話が出てくるのはどうかと思いました。
この映画の魅力はタジオのセリフが一切ないことにあったと思うのです。アッシェンバッハにとってタジオが触れることのかなわない遠い存在であること、その距離感が、タジオのセリフがなく、その外見以外にどんな少年なのか判断する手がかりが与えられないことによって観衆の我々にも伝わってくるのですから。これまでに他で既にこの作品を見ている人にとっては興味深いものでしょうが、初めて観るという方にはできることならタジオのセリフ字幕のないものを先に観ていただきたいと思います。
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美しいと何回つぶやいたか |
美しいものに心を揺さぶられるのは、致し方ないことだと思う。
それがたとえ同姓の人間で、年が離れすぎていても。
…とこの映画を見て思ってしまった。
それもひとえに、タージオの彫刻のような美しさを見たから。
老人はついついタージオを見つめてしまう。
タージオはそんな熱い視線に気づいたのか、老人と
すれ違うとき少し微笑む。
そんなタージオに翻弄される老人。
タージオが好きすぎて、どうしようもなくなり、美容室(?)
に行くダーク・ボガート。
そこで若々しく見せましょうと言って店の人が白髪染めたり
化粧したりするんだけど、なんか白塗りしすぎでピエロみたいに
なってます。
なんだか滑稽で少し悲しくもなるんだけど、私は笑ってしまった。
タージオの美少年すぎるポージングも笑ってしまったポイント。
海で、輝くタージオを見ながら死んでいく老人の最期は必見です。
とにかく一度見てほしい。
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没落の身振り |
劇的なるもの。それはもはや美学ではあるまい。しかし時代錯誤的な身ぶりもまた美意識の表れだといってしまえば身も蓋もない。あるいは絵に描いたようなというべきか。没落の完璧化。この一点で後世作家は世に受け入れられた。作家にとって戦後とはなにか?ファシズムは見えなくなり、社会主義は地に堕ち、資本主義は歪んだままだ。しかも現実の西欧は決して没落などはしない。
ヴェネツィアは留まった時間を生きている。あるいはそのように振舞うことを許容された空間である。祝祭的空間。演劇的空間。「夏の嵐」の舞台は、そのまま死の街にすら変容できるのだ。この虚妄。大いなるフィクション。
こうして観客は大運河を渡る水上船とともにこの大芝居へと入り込んでいくのだ。

